◎信教の自由を守る函館キリスト者連絡会 の発端
(40年の歩み)
1980年 (S55年) 12月4日
カトリック元町、宮前町及び湯川教会は、1960年から、「社会間題研究会」
として集会を明き、さらに、7 0年代後半からは、全国的な「社会週間」
行事を地区の問題として、活動を続けていた。
一方、プロテスタント諸教会は、日本キリスト教団函館及び千歳教会を中心に、69年靖国神社国家護持法案に対して「信教の自由」を守り、法案反対の集会、運動をすすめていた≫
1980年、韓国の『金大中氏 (カトリック信者)逮捕、処刑のうごきに、
当時のカトリック地区長ペラール神父の呼びかけに教団函館教会渡辺正男
牧師が応じ、共に、カトリック、プロテスタント信徒に、「金大中氏他救出緊急祈祷集会」を訴えた。
この行動がその後の「連絡会」 36年の歩みの発端である。
(1)年表 1980-1990.2.10
(2)年表 1990.6.15-1998.8.6
(3)年表 1999.2.13-2011.8.6
(4)年表 2012.2.11-2024.8.12
(5)2025.2.11に行われた集会の広告と配布資料
久野牧牧師 「ドイツの教会闘争から学ぶ教会の務め」
(6)函館における戦時中の迫害 資料
・あるクリスチャンの体験
・遺愛女子高等学校の教育目標
・小山宗祐牧師補獄死事件
・カトリック神父達が受けた迫害
※この連絡会への参加教会一覧
※年表の一部を文字化したもの(付録)
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※上記の年表中で集会名が三つ現れるが、それ等の関係
a「金大中氏他救出祈祷集会」(1980.12より)
b「信教の自由を守る函館キリスト者集会」(1983.2より)
c「平和祈祷集会」(1985.8より)
金大中氏の安全が確信されたのは、以下の経過から分かるように、
1982.1.23である。(後から見れば、まだ金大中氏の受難は続くのだが)。
それで、aの呼称はもう不適切と思われ、1983年からはbに名称を変えたのだ
ろう。
cの集会については、これを始めるきっかけが良く分からなかった。
今後も調べてみたい。
※参考 金大中氏の拉致された後の経過
1973年(昭和48年)8月8日、東京に滞在中、ホテルグランドパレスで何者か(複数)によって拉致され、行方不明となった。この犯人たちは、謀殺を意図した韓国中央情報部 (KCIA)の工作員であった事が後に判明する。拉致後、神戸から出港した工作船の上で殺害される寸前であったが、日本の海上保安庁のヘリコプターが船の上を旋回し、照明弾などで威嚇したため、犯人らは殺害を中止。その後、ソウルで解放されて九死に一生を得たが、ソウルの自宅で日本人記者らに会見を行った後、2か月間、軟禁状態に置かれた。
1976年3月には尹?善らと共に「民主救国宣言」を発表した後に逮捕。裁判中にもかかわらず、ソウルの拘置所から遠く離れた晋州刑務所へ送られる[8]。その後に懲役判決を受け、1978年3月に釈放された。1979年10月26日に朴正煕暗殺事件が起きると、民主化の機運が高まってソウルの春が訪れ、韓国政界で金大中・金泳三・金鍾泌の3人のリーダーが注目される、いわゆる三金時代が始まった。
1980年2月29日に公民権を回復。政治活動を再開するが、3か月後の1980年5月18日に再び逮捕。これが原因となって光州で起きた民主化要求のデモを軍部が武力鎮圧する、流血の大惨事となった(光州事件)。このため、軍法会議で首謀者として、また1977年に発生した学園浸透スパイ団事件での摘発スパイの自白から
「韓国民主回復統一促進国民会議」の議長とされ、死刑判決を受けた。
日本の当時の鈴木善幸首相はこれを憂慮して、11月21日に崔慶禄駐日大使と会談し、「日韓親善からみて、金大中の身柄に重大な関心と憂慮の意を抱かざるを得ない」と発言し、その旨を全斗煥大統領に伝達するよう要請した。この事を受け、『朝鮮日報』は11月25日付の紙面で、鈴木の発言を「内政干渉である」と批判した。
しかし、次第に民主化弾圧の死刑判決であると国際的な批判が強まって、1982年1月23日の閣議決定により無期懲役に減刑される事が決定し、12月23日に米国への出国を条件に刑の執行を停止された。
※参考 参考にしたと思われる集会名の発端 (女子パウロ会サイトより)
…教派を超えた宗教サミット「世界宗教者平和の祈りの集い」も26周年を迎えました。これは1986年10月27日、時の教皇ヨハネ・パウロ2世の招きで諸宗教者がアシジに集まって行われた「世界平和祈祷集会」に触発されてその翌年に始まり、以来毎年行われてきたものです。ほかでも、多くの異なった宗教の人々が平和実現を一つの使命として真剣に考え、行動を続けています。
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資料庫2 元町教会調査報告書
(5)2025.2.11に行われた集会の広告
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この集会で配布された詳しい資料
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(5)函館における戦時中の迫害 資料(1)
「戦時中のキリスト信者の体験 小原操さんの証言」
函館における戦時中の迫害 資料(2)
「遺愛女子高等学校の教育目標が変えられた 西堀滋樹氏記録」
函館における戦時中の迫害 資料(3)
「小山宗祐牧師補獄死事件」
函館における戦時中の迫害 資料(4)
「カトリック神父達が受けた迫害」
「戦時中のキリスト信者の体験 小原 操 さん」
・・・・・・・・・(前略)
女学校卒業後私は北連函館支所の購買部の経理係に就職いたしました。
昭和十三年から十九年、結婚する迄つとめましたが、勤務当初は周囲の人間関係もよく、昼休みなど屋上で神様の話をしたり、また、何人かの男性は素直に教会にも行き、神父様のお話を聞きに行きました。
御復活祭の前四十日間には、教会に行っていた数人の方は、禁酒禁煙の苦しみを我慢するなど、それぞれの考えで犠牲を捧げた事もありました。
昭和十六年、大東亜戦争勃発と共に、若い有能な先輩達は次々と招集されました。そして、その殆どの方々は戦死いたしました。
戦争は日を追って熾烈になり、食料品は総て配給制になり、パーマネントは禁止され、服装も常にモンペと上着に防空頭巾を背中に背負ったスタイルです。衣料品も全て点数で、結婚の時には特別に二百五十点が貰えたのですが布団を作るのにはようやくで、勿論、木綿類は絶対入手できず、化繊のぺらぺらした布
をようやく手に入れても綿がなく古綿を打ち直して入れたりしました。
北連の中で、私はずっと購買部に居りましたが、毎月札幌の本部へ送る試算表を作成する時は夜十一時近くまでかかりました。男の人は出征して行きましたが人員の補充もあまりなく、灯火管制で暗い夜道を、母が提灯をつけて谷地頭終点まで迎えに来てくれました。
職場の空気も戦争と共にすっかり変わり、教会に行く私を次第に敵視(少し大げさかもしれませんが)するようになり、何かと辛く当たるようになりました。
ある朝、事務所に入りましたら一冊の雑誌が上がっていて、グラビア印刷の所に「外国人神父投獄される。スパイの疑い」と大きく印刷され、外人の写真が掲載されておりました。 もう古い事で、その内容までは覚えていませんが、同僚は私に「お前もアーメンに行っていれば今に豚箱に入れられるぞ。早く辞めてしまえ」と口々に言いました。 また、ある時は数人の人から口を揃えて「アーメン、ソーメン、うどんそば、死んでも命がある様に!」とも言われました。 その方々も二十歳前後の若さで次々招集され、噂ではある人は南方に、またある人は東シナ海に散ったとの事でした。皆様本当に良い方達で、親切に仕事を教えて下さったり、会社が終わってから先生を呼んで謡曲の稽古をしたりした事もありましたが、戦争が人の心をすっかり変えてしまったのでした。当時の苦しい心境を歌った短歌があります。
憎しみの声を浴びつつ硝子戸に 涙もて我聖母マリアと書けり
あざけりの的となりたる我身なり 今日も淋しく一日を過ごしぬ
昭和十五年、亀田教会(現宮前町教会)のフルニエ神父様というフランス系カナダ人の方が、スパイの疑いで堀川町の留置所に入れられ、この神父様にカトリックの勉強を習っていた方々まで、何回も警察に呼ばれて取り調べを受けたそうです。このフルニエ神父様は、その後、札幌の大通り刑務所に送られ、昭和十九年にカナダに強制送還されたそうです。
また、日本人の平塚神父様も仙台で留置所に入れられ、すっかり体調を崩されて出された後亡くなられたとも聞いております。その頃は合い言葉のように「外人を見たらスパイと思え」と皆が言っておりました。
従って、キリスト教の信者もそのような目で見られていたのでしょう。私たちは教会の門をくぐるのさえはばかられた時代でした。
(以下略) (「道南女性史研究第7号」より)
※当時の小原操さん 北連(ホクレン)函館支所の前
この小原操さんの記録にあるフルニエ神父の件を函館図書館の新聞記事の中で発見しました。以下の写真をどうぞ。(クリックで拡大可)
このカナダに強制送還されたフルニエ神父のその後については、下記の
「カトリック神父達が受けた迫害」の中で詳しく述べる
「遺愛女子高等学校の教育目標が変えられた 西堀滋樹氏記録」
(「函館ピースマップ」編著西堀滋樹氏 より)
遺愛女学校も学校存続のために「御真影」を奉納する奉安殿を設置(同17年)するなど、皇国主義との妥協を次々と強いられていく。遺愛女学校の教育目標の変遷を辿れば、
昭和6年当時にはあった「本校はキリスト教主義に基づき?」というキリスト教の埋念が、戦時下になり文部省等の圧力によって年々薄められていき、同19年に改めて高等女学校として認可された際にはキリスト教という表記自体が教育目標から完全に消し去られていった。同校は敗戦間近の同20年4年函館連隊司令部に校舎を接収され、急遽、的場国民学校の校舎への移転を余儀なくされる。移転後は借用した校舎の一部しか使用出来なかったために教育活動に支障をきたしたが、二部授業の実施などで苦境を乗り切った。敗戦後、杉並町の元の校舎へ戻ったが、校舎内の木製廊下には軍靴の鎭跡がそのまま残されていた。それは歴史を伝える鉄跡として現在も残っている。
西堀滋樹氏の講演から
「小山宗祐 牧師補 獄死事件」
日本による真珠湾攻撃から1か月あまり経った昭和17年1月、函館聖教会(旧ホーリネス系)の牧師補小山宗祐が治安維持法第7条(不敬)、陸軍刑法99条(造言飛語)及び出版法違反の嫌疑で函館憲兵隊に拘引され、過酷な取り調べを受けた。
当時、小山牧師補は五稜郭など函館市内各所でキリスト教の伝道活動を行っていた。しかしある日、小山は隣組の輪番制による戦勝祈願の函館護国神社参拝を拒否したとして密告され、拘束される。当時は軍や警察のみならず、「隣組」など住民による相互監視の眼も厳しかった。身近な隣人や顔見知りが「防諜」(スパイ防止)の目的で近隣の住民の言動を監視し、「非国民」としてあぶり出していく小権力になつていた。
天皇を「現人神」として容認、「体制宗教」を自認して国と一体となって戦争協力の道を歩み出していく。
その一方で、国の意向に沿わない宗教団体は解散を余儀なくされていった。小山牧師補が属していたホーリネス系教会は最後まで国の意向に従わなかったため、小山の逮捕はその後の同教会への大弾圧の発端だったとされている(函館ではこの時、松原繁牧師も検挙されたが、同年10月に釈放)。小山牧師補が獄死したその3ヶ月後(同年6月)、全国一斉に旧ホーリネス系の牧師たち96人が検挙(第1次検挙)されるという大規模弾圧が起き、同教会は行政処分により事実上の解散に追い込まれた。
宗教団体への弾圧はキリスト教宗派だけでなく、大本教、ひとのみち教団、新興仏教青年同盟などの各宗教、宗派にも及んだ。
(「涙の谷を過ぎるとも:坂本幸四郎著」より)
(「函館ピースマップ」編著西堀滋樹氏)
「カトリック神父達が受けた迫害」
久保田時中氏が 「1990年 90年のあゆみ 宮前町カトリック教会」の中で、次のように述べている。
「フルニエ神父様は、支那事変の起きた昭和11年 (1936)着任された。戦争が拡大の様相を感じて来た頃、国内も戦時態勢となり、特高、憲兵等の活動が激しくなり出し、遂に、太平洋戦争となるが、教会は特に監視の重点対象となった。亀田教会の信者も多数、スパイの嫌疑で、又は国体護持に関する特高の取調べを受けた。私もその一人であった。
フルニエ神父様は、外人の為特に酷い取調べを受けたようであった。
その後、昭和39年7月、当時カナダへ遊学中の、今田莞爾氏が、フルニエ神父様に会うべく、カナダ聖ドミニコ修道院を訪問した。神父様の笑顔を期待して、待って居られたが、神父様は出て来られず、取次ぎの修道士に「フルニエ神父様は、日本人には会いたくないそうです。」との言葉の伝言、今田莞爾氏は驚き落胆して、帰って来たが、神父様にとって日本での痛手が、如何にひどかったか想像される。
と、「葦」に投稿され、多くの信者の反響をよんだ。ご記憶のお方もあろうと思っている。
戦前我々信者の信仰に対する、国家権力の苛烈さを今でも思い出し、忘れる事の出来ない一事である。」
※当時は、信者や求道者に姿を変えた特高が教会での集会に潜入し、情報活動をしていたという証言もあるので、神父様にとっては信者? の裏切りが痛手だったのかもしれない。
これについて詳細はこちらで
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信教の自由を守る函館キリスト者連絡会 参加教会一覧 2025.3時点
1 カトリック宮前町教会 |
2 カトリック元町教会 |
3 カトリック湯川教会 |
4 函館ラ・サール学園 |
5 函館白百合学園 |
6 日本基督教団函館教会 |
7 日本基督教団七飯教会 |
8 日本基督教団利別教会 |
9 日本基督教団八雲教会 |
9 日本基督教団渡島福島教会 |
10 日本基督教団江差伝道所 |
11 函館YWCA |
12 函館遺愛学院 |
13 函館ハリストス正教会 |
14 函館聖ヨハネ教会 |
15 救世軍函館小隊 |
16 函館シオン教会 |
17 日本キリスト教会函館相生教会 |
18 日本バプテスト連盟函館キリスト教会 |
19 函館美原キリスト教会 |
20 日本福音ルーテル函館教会 |
21 SDA函館キリスト教会 |
22 日本イエス・キリスト教団函館中央教会 |
23 函館リバイバル・キリスト教会函館ハレルヤチャペル |
24 函館栄光キリスト教会 |
25 日本福音キリスト教会連合花園キリスト教会 |
26 七飯福音キリスト教会 |
27 函館のぞみ福音キリスト教会 |
28 北斗キリスト教会 29日本アッセンブリーズ・オブ・ゴット教団 ベテルキリスト教会 |
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※(1)-(4)の写真の一部を文字起こししました。何かのお役に立ては
1980-12-07 金大中氏他救出祈祷集会「心を熱くして祈ろう」渡辺正男
-12-22 〃 「韓国を中心とする世界の動き」対馬天
1981-01-25 〃 「現状アピール」米倉正夫
-02-10 靖国問題と信仰を学ぶ 「現代に生きる福音」小林薫
「靖国はどうなっているか」米倉正夫
1983-02-10 第1回信教の自由を守る函館キリスト者集会
「日本を愛するキリストとあなた」川谷
-04-01 信教の自由を守る函館キリスト者連絡会便りNo1
-05-03 〃 No2
-10-02 「神社神道と天皇制」靖国神社公式参拝の背景にあるもの
村上重良
-11-30 信教の自由を守る函館キリスト者連絡会便り
渡辺正男・米倉正夫
1984-02-10 信教の自由集会
「小山牧師の獄死ーその今日に語りかけるもの」
-04-01 信教の自由を守る函館キリスト者連絡会便りNo3
1985-02-10 信教の自由集会
「なぜヤスクニ公式参拝に抗するか」笹川紀勝
-06-11 報告会 「1985年北海道護国神社例大祭の問題点」渡辺和夫
-08-09 第1回平和祈祷集会
「中曽根内閣 靖国神社公式参拝に抗議して」千歳教会
1986-02-10 信教の自由集会「信教の自由−この優越的なもの−」中平健吉
-08-09 第2回平和祈祷集会「平和と信教の自由を守るために」
リンブル
1987-02-10 信教の自由集会 「靖国問題をめぐる今日の課題」小林薫
-03-24オープン学習会 「岩手靖国参拝違憲訴訟判決を学ぶ」浦瀬佑司
-07-23 信教の自由を守る函館キリスト者連絡会便りNo4
「靖国問題をめぐる今日の課題」
-08-06 第3回平和祈祷集会 「平和のためのたたかい」ジャン・ワレ
1988-02-09 信教の自由集会 「今、遺族から問うヤスクニ」中島静恵
-07-20 信教の自由を守る函館キリスト者連絡会便りNo5
-08-09 第4回平和祈祷集会 「小さいもののひとりを」中澤
-10-15 オープン学習会 「天皇の『代替わり』とキリスト者」
渡辺敏美
1989-01-07 「天皇死去に際しての緊急アピール」
-02-11 信教の自由集会
「キリスト教信仰と天皇制(国家)古代天皇制の成立と本質」
-02-24 「大喪の礼を語る会」
-08-06 第5回平和祈祷集会 「アジアの平和と私達」新海雅典
1990-02-10 信教の自由集会
「なんで大嘗祭−天皇が神となる時、国民はしもべとなる」 鈴江英一
-06-15 信教の自由を守る函館キリスト者連絡会便りNo6
-08-09 第6回平和祈祷集会
「この日に平和への道をわきまえる」牧野富士男
-10-14 オープン学習会 「大嘗祭とキリスト者」
-11-12 「即位礼と大嘗祭を考える」ビデオ学習
※1990-9月〜11月出前学習会
「即位礼・大嘗祭」7回実施 米倉正夫
1991-02-10 信教の自由集会 「私が見た即位礼−それぞれの世代から」
1991-07-10 信教の自由を守る函館キリスト者連絡会便りNo7
-08-09 第7回平和祈祷集会 「平和を作り出す人は、幸い」
ウインダル
1992-02-07 信教の自由集会 「岩手靖国訴訟・実質勝利の意義」井上二郎
-08-06 第8回平和祈祷集会
「平和を実現する人々」中村周行 金田隆一
1993-02-12 信教の自由集会(第11回)
「苦難と抵抗・勝利日本統治下の韓国に学ぶ」
-08-09 第9回平和祈祷集会 「平和を求めて」荒木関巧
1994-02-11 信教の自由集会(第12回)「いと小さき者−の視点から」
-08-09 第10回平和祈祷集会 「平和を願って」杉嶋輝静 浦瀬佑司
1995-02-10 信教の自由集会(第13回)「イエスが真ん中にいる平和」
新海雅典
-07-15 信教の自由を守る函館キリスト者連絡会便りNo8
-08-09 第11回平和祈祷集会 「平和の種、平和の実」久保寺緑朗
1996-02-10信教の自由集会(第14回)「問われている宗教法人法」
山崎英二
-08-06 第12回平和祈祷集会 「わたしの平和を与える」松木田博
1997-02-15 信教の自由集会(第15回) 西川重則
「平和を創り出すためにー憲法制定50年にあたって」
-08-06 第13回平和祈祷集会 「平和を祈る」荒木関巧
1998-02-13 信教の自由集会(第16回)
「歴史の検証−靖国問題の30年」鈴江英一
-08-06 第14回平和祈祷集会
「キリストによる平和−ヌチドゥタカラ−」吉田真司
1999-02-13 信教の自由集会(第17回)
「アジアの人権を考える−日本国憲法の視点から」
-08-09 第15回平和祈祷集会 「正義と平和」
ジェル・ロー 稲正樹
2000-02-11 信教の自由集会(第18回)
「終わりなき自由への闘いを
−最近の情勢と思想・信教の自由」藤田英
-08-09 第16回平和祈祷集会 「和解」 渡辺正男 山内継祐
2001-02-12 信教の自由集会(第19回)
「戦後民主主義の明と暗−新ナショナリズムにどう対するか」
-08-09 第17回平和祈祷集会
「最も小さい者と共に−働く者の現状から平和を考える」
ペラール
2002-02-11 信教の自由集会(第20回)
「社会正義にナルドの香油のかおりが、あふれるために」高橋一
-08-06 第18回平和祈祷集会 「痛みの共感を土台として」井石彰
2003-02-11 信教の自由集会(第21回) 東谷高明
「パレスチナから見えてくる日本
−レバノン・パレスチナ難民キャンプでの出会いを通して」
-08-06 第19回平和祈祷集会
「キリストと共に歩まん平和の道を」小山昭
2004-02-12 信教の自由集会(第22回)
「いのちいつくしんでいますか」西原美香子
-08-06 第20回平和祈祷集会 「主の光の中を歩もう」
松木進 鈴木伶子
2005-02-09 信教の自由集会(第23回)「神に仕え人を愛し、
神を愛し人に仕える」
-08-06 第21回平和祈祷集会 「私の平和を生きる」下澤昌
2006-02-12 信教の自由集会(第24回)「いまなぜ『靖国問題』か」
高橋哲哉
-08-09 第22回平和祈祷集会
「命を愛される主よ、すべてはあなたのもの
あなたはすべてを いとおしまれる」今田玄五
2007-02-12 信教の自由集会(第25回)
「これからの靖国問題を見据えて、<ポスト小泉> −近き”闇”を超えて」鈴木英一
-08-09 第23回平和祈祷集会
「平和の福音を告げ知らせよ」久野牧(おさむ)
2008-02-09 信教の自由集会(第26回)「信教の自由が危ない」
谷大二司教
-08-06 第24回平和祈祷集会
「山上の説教から学ぶ平和の教え」井石彰
2009-02-11 信教の自由集会(第27回)
「キリスト者の生きる時と天皇制
−人権によって成り立つ国家を求めて」
笹川紀勝
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「世界祈祷日函館地区集会」について
世界祈祷日は、多様なキリスト教の伝統を共有するキリスト者女性により、1887年にアメリカの女性たちが移住者や抑圧されている人たちを覚えて始まった。2度の世界大戦の経験から、地球規模の視野をもって和解と平和を求める祈りによる世界的な運動に発展した。毎年3月第1金曜日を中心に、テーマにそって祈りあい、世界的なネットワークをもつ女性たちと祈りと行動を続けている。
日本では、1932年から、第二次世界大戦中を除き毎年開催されている。1949年より、日本キリスト教協議会(NCC)女性委員会がWDPより送られてくる原案をもとに、日本語式文を作成し配布している。世界祈祷日の献金は、世界祈祷日国際委員会(WDP)を通して式文作成国や国内外の女性たちの働きのためにささげられている。
2025年の式文作成国はクック諸島である。この年〈いのち〉を尊び、人権が守られ、心から平和を求める祈りをあわせる。
函館地区での毎年の参加教会は次の通りである
1 日本バプテスト連盟函館キリスト教会
2 日本福音ルーテル函館教会
3 日本基督教団函館教会
4 日本聖公会函館聖ヨハネ教会
5 日本基督教団函館千歳教会
6 函館カトリック元町、宮前、湯の川教会
7 函館栄光キリスト教会
8 一般社団法人函館YWCA
9 函館シオン教会
10 日本キリスト教会函館相生教会
これについて詳しくは下記でご覧下さい。
https://cloister171.blog.fc2.com/
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