元町教会歴代主任司祭の肖像
当地区の司祭は例外を除き全てパリ外国宣教会から派遣されました。

 2011年筆者もパリのセーブル・バビロンにあるパリ外国宣教会を訪れましたが、そこには今までに派遣されて殉教した沢山の神父達を記念する部屋があり、残酷な処刑や拷問の様子を描いた絵も沢山展示してありました。

 今では殉教こそありませんが、一度布教に旅立ったなら派遣先で生涯を終える覚悟という点では同じで、彼らの布教への意志と情熱には頭が下がります。
紹介する外国人神父の方々はつとめを全うして日本で没したり、老齢になってからやっと故郷の養老院に戻られた等、日本のために生涯を捧げられました。
この様な宣教師には彼らの元の身分には関係なく立派な人も多く、幼少期そんな神父達と過ごす事が出来た事を今でも感謝しています。  
               
 殆どがフランス人ですが、第二次大戦中はフランス人は敵国人として軍部から嫌われたうえ、 すぐそばの函館山には軍の津軽要塞司令部が置かれていたこともあり、この時期の主任司祭は日本人となっています。
               
 函館は長らく東北・北海道の布教の中心地で司教座も置かれていましたが、上記の事情から1936年、司教座は仙台に移され函館司教区の名称は仙台司教区に変更されました。

(以下では各神父が行った事を紹介しているが、神父が直接関与しなかった事でもその在任中に起こ った事として載せてある)

                                          
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       函館カトリック元町教会


































          

1859年メルメ・カション師函館称名
寺境内に小聖堂設けた(初代聖堂)

1863年箱館を去る

(晩年は不明だが1889年カンヌで死亡
したらしい)

1867年ムニクー師来凾し、司
祭館を建設した(第2代聖
堂)


1868年来凾するが、同年箱館戦争が
起こる


1869年箱館は廃墟と化し、師は新潟へ
転任
1870年プレッシ師主任司祭 となるが、
同年邪宗門禁止の高札


1873年禁教令の高札撤去、師はこ
の年33名に授洗
1875年主任司祭となるが、10月には
東京に転任する
1875年10月主任司祭となる
1877年木造大規模な聖堂建立(第
3代)
1878年シャルトル聖パウロ会より3
名の修道女来凾すぐに孤児院等設
立    
1879年主任司祭となる 1883年主任司祭となる
1884年主任司祭になるが、1889年
迄に209名の授洗者


1886年仏からの修道女の活躍によ
り後の白百合学園となる女学校設

1890年孤児院建設
1891年北海道・東北をまとめて函館
教区が設立され、師が司教となる


函館大火で焼けたため、第四代、
第五代二つの教会の建設に尽力

1891年主任司祭となる
ベルリオーズ司教の会計として重責を
果たす。


1923年関東大震災で帰天
1893年主任司祭となる
1896年当別にトラピスト修道院設立

1898年湯川にトラピスチヌ修道院設立




1894年日清戦争
1900年北日本初の邦人司祭として
主任司祭となる

1901年ベルリオーズ司教により亀
田教会設立
1901年主任司祭となる
1901年ベルリオーズ司教仙台に予
備神学校を建設




1904年日露戦争
1904年主任司祭となる

1907年大火で教会焼失するが、
ベルリオーズ司教の努力で1910年
煉瓦造り瓦葺きのゴシック風教会
が建立(第4代目)

1914年シャンボン師第一次世界大戦
に応招




(1914ベネディクト15世)
1915年主任司祭となる
1920年主任司祭となる

1921年の大火で教会焼失。また
もベルリオーズ司教の努力で
1923年ゴシック風教会が建立
(第5代目)この際焼け残った壁
やステンドグラスは再利用し今
に至る。

1925年司祭館建設

(1922ピウス11世)
1927年主任司祭となる


1931年函館教区をドミニコ会に譲
り、パリ外国宣教会は函館を離れる




1933年満州事変
1931年ドミニコ会のカナダ人タルト師
着任
1933年カナダ管区ドミニコ会士シュ
ルプレナン師着任

1934年大火で多数の人が焼け出さ
れたが、教会の施設でも多数の
人々を救った。
1935年主任司祭となる

1936年司教座は仙台に移り、函
館教区は仙台教区と改称

1940年第二次世界大戦始まる。 
亀田教会のフールニエ師スパイ容
疑で留置され、44年強制送還され


1941年政府の指導により、日本天
主公教団設立、ラポルト師留置さ
れる

(1939ピウス12世)
1943年主任司祭となる

1943年捕虜収容所でクリスマスミサ
を行う。

1944年司祭・修道士も勤労動員、更
には招集の対象にもなった。

1945年太平洋戦争終結



1945年主任司祭となる
1945年主任司祭となる

1948年聖ウルスラ修道院開設

1950年奥田良三音楽会開催、進駐軍
の寄付と会わせ聖堂内部改築

1950年主任司祭となる

1953年パリ外国宣教会の函館地
区布教を法王庁承認
1953年主任司祭となる

1954年叙任司祭アインシャルト師の
もとカトリック青年労働者連盟結成
1955年主任司祭となる

1956年八雲教会創立

1957年江差教会開設

1959年ラ・サール学園設立された

1960年「少年の家」建設


(1958ヨハネ23世)バチカン公会議
1962年主任司祭となる

1973年海の星保育園建設

1977年旭岡の家建設

1988年函館野外劇を開始




(1963パウロ6世)
1977年主任司祭となる

1990年病死される







(1978ヨハネ・パウロ1世、
 1978ヨハネ・パウロ2世



  第三十一代   今田玄五 師 




  第三十二代  祐川郁生 師
1990年主任司祭となる

2005年故郷フランスのパリ外国宣教
会の施設に入る





(2005ベネディクト16世)
2005年主任司祭となる

2014年に札幌の教会へ転任

2016年故郷フランスのパリ外国宣教
会の施設に入る





(2013フランシスコ)
2014年今田玄五神父主任司祭となる

2019年稚内教会と枝幸教会の主任司
祭として転任

2019年祐川郁生神父主任司祭となる

2023年現在、当聖堂をかつてのシンプ
ルな美しさをたたえたものに戻すべく
奮闘中。計画が完成すると、巡礼と観
光を兼ねた日本では貴重な存在とな
るだろう。


    


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