1859年、メルメ・カション師が最初に建てた聖堂の見取り図。メルメ師の自筆である。
パリ外国宣教会本部に送ったもので、グロード神父が発見した。下の図が日本語に翻訳したものである。







最近(2023年)まで、メルメ師が建てた教会はパリミッションに送った左上の自筆スケッチでしかその実態が分からなかった。
しかし、三宅理一先生の精力的な調査のお陰で、函館中央図書館で称名寺の写真を発見し、そこにメルメ師の小聖堂がある事を確認。公的文書とも一致。
初代教会の実物の佇まいを実感できることは、私達、函館の信者にとっては大変に嬉しい事である。
これが日本の禁教令以降の最も古い教会の姿である。

メルメ・カション師は1863年函館を去るが、
1867年来函したピエール・ムニクー師が直ぐに建設した司祭館。聖堂も兼ねていて、当教会ではこれを第2代としている。

1868年4月11日彼の手により洗礼
式が行われた。受洗者は善兵衛?さんで、クリスチャンネーム:ジョゼフ・マリー・ゼンベー。

この洗礼者は禁教令以降で日本で初の受洗者であった。

元町教会の洗礼台帳は全て保存されており、そこには第一号として善兵衛さんの名が記されている。まだ禁教令下にあり、秘密裏の洗
礼式であった。



この出来事は横浜のプチジャン師経由で即刻パリに報告され、信仰広布会の『ミッション・カトリック』誌を介して「かつて多くの伝道者、信仰告白者、殉教者を出したこの国で、3 世紀近くを経た後に初の洗礼が執り行われた」と全世界に報じられた。



1875年マラン師が主任司祭に
1877年マラン師聖堂建立









はこの聖堂の祭壇である。
        (図書館の古写真より発見)



1907年大火で聖堂焼失











































1878年マラン師の要請により、シャルトル聖パウロ会より3人の修道女来函
このシスター達の活躍は眼を見張るものがあった
来函して半年ほどで、授産所、孤児院、施療院を開 設し、8年後には聖保禄女学校を開設し、これが今 の白百合学園につながる。
つまり、白百合学園は函館発祥なのだ。

下の写真から分かるように、高台の白い教会と女学校の建物は市中のどこからも目立った事であろう。
宣教師たちは、この建物を見て隠れキリシタン達が名乗り出てくるのではないかと期待した。

 
  初代教会




  クリックで拡大 ブラウザの←で復帰

 



 初代教会写真(日本最古の教会映像)




 


第2代教会







元町教会洗礼台帳 クリックで拡大 ブラウザの←で復帰


第3代教会










函館山山頂より





明治22年の写真




   第4代教会

 





大正10年の大火で被災

写真の通り、大火に遭いながらも、ステンドグラスや煉瓦壁は残っている。
この建物に強い愛着を持っていたベルリオーズ司教は残っている物を極力生かした補修再建とも言える形で工事に取り組んだ。だから、基礎,煉瓦壁、ステンドグラスは現在の聖堂にも残っている。
現在のノートルダム寺院の再建と同じである。

     第5代教会






まだ祈祷台や椅子は無く、畳敷きである。男性と女性で席が別れているのも時代を感じさせる。和服が多いのも




























       函館カトリック元町教会

     古写真で見る聖堂の変遷







                                                
   




























































































 


 
   



























































 

     
      









  



    










































    
                









































          



















明治22年の写真