メルメ・カション師は1863年函館を去るが、
1867年来函したピエール・ムニクー師が直ぐに建設した司祭館。聖堂も兼ねていて、当教会ではこれを第2代としている。
1868年4月11日彼の手により洗礼
式が行われた。受洗者は善兵衛?さんで、クリスチャンネーム:ジョゼフ・マリー・ゼンベー。
この洗礼者は禁教令以降で日本で初の受洗者であった。
元町教会の洗礼台帳は全て保存されており、そこには第一号として善兵衛さんの名が記されている。まだ禁教令下にあり、秘密裏の洗
礼式であった。
この出来事は横浜のプチジャン師経由で即刻パリに報告され、信仰広布会の『ミッション・カトリック』誌を介して「かつて多くの伝道者、信仰告白者、殉教者を出したこの国で、3 世紀近くを経た後に初の洗礼が執り行われた」と全世界に報じられた。
第2代教会
第3代教会
1875年マラン師が主任司祭に
1877年マラン師聖堂建立
下はこの聖堂の祭壇である。
(図書館の古写真より発見)
函館山山頂より
1878年マラン師の要請により、シャルトル聖パウロ会より3人の修道女来函
このシスター達の活躍は眼を見張るものがあった
来函して半年ほどで、授産所、孤児院、施療院を開 設し、8年後には聖保禄女学校を開設し、これが今 の白百合学園につながる。
つまり、白百合学園は函館発祥なのだ。
下の写真から分かるように、高台の白い教会と女学校の建物は市中のどこからも目立った事であろう。
宣教師たちは、この建物を見て隠れキリシタン達が名乗り出てくるのではないかと期待した。
明治22年の写真
1907年大火で聖堂焼失
第4代教会
第5代教会
まだ祈祷台や椅子は無く、畳敷きである。男性と女性で席が別れているのも時代を感じさせる。和服が多いのも
初代教会
明治22年の写真