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以上から分かるように、学校、孤児院、病院、授産施設、といったものが宣教師たちによってもたらされている。当時の函館はそれらのいずれの点でも遅れており、開拓使もその必要性を認識はしていたが、とても手が回らなかったというのが現状であった。だから開拓使側もこれ等の面で宣教師達の活躍をあてにし、学校建設等ではさまざまな優遇措置を講じている。
当然それらの施設の中では宣教師・修道女・信徒と一般市民が触れる機会も多く、つまり宣教の機会も増えるため、明治6年の解禁以降徐々に信徒数を増やしていったが、明治9〜10年に堰をきったように函館市中にキリスト教信者が増加した。(元町教会:明治元年からで計369名に)